ローマの休日その2
2011年 07月 03日
というわけでローマの休日継続中。
グレゴリーペックいるかしらん?と歩いてみるけどさすがにいないですね。
今日は時差ボケのため早起きしたのでバチカン市国まで行ってみる。
実に7年ぶりになるこの場所は相変わらずものすごい存在感と威厳を保っていました。
午後までいたら教皇様に会える日ではあったけど
そこまでの大ファンでもないので早々に帰宅。
そして友人Rのお迎えを待つ。
今日は到着した日にさっそく連絡したパキスタン時代の友人Rが家に招いてくれる日。
パキスタンにいたときは友達がいない、と悩んでいた日々もあったけれど
今ふたを開けてみるとコアないい友達が多かったことに気が付く。
しかしイタリア人たちとはよく遊んだなあ・・・たいてい「待ち合わせは11時ね」といわれて張り切って昼間に家に行くと
「夜の11時に決まってるじゃん」とか言われるパターンだったけど。
どんだけ夜型なんだよ!と思ったことを思い出す。
若手イタリア人ギャルたちは今はイタリアにはいないらしく今日はオジサマRが対応。
相変わらずステキなオジサマでした。
パキスタン時代は大使館で働いていた人だけど今は引退してローマ近隣の町に住んでいるとのこと。
スペイン広場まで行き、そのあたりをジェラートを食べながらぶらぶらしたあと
お宅訪問。
丘の上にあるかわいらしい家には超ラブリーな奥様とワンコが待っててくれました。
「若い子を誘おうと思ったんだけど老人ばっかりでごめんよ」と恐縮していたけれど
英語がそこまで堪能でないRは私に気を使って、
英語の先生をしているオバサマと日本文化をこよなく愛するオジサマ(英語話せず)をゲストに招いてくれていました。
おいしい奥様の手料理をたらふく食べ、本当にたらふく食べ、
老人たちだけにみんなでテラスで昼寝までしてみる。
「本当は湖にピクニックくらい行きたいところなんだけどねえ・・・」と言ってくれたけれど
明らかに足腰が悪そうな皆様にそこまで無理をしていただくわけにもいかず
その日はお開きに。
来週は仕事のあとにローマの夜の街並みを案内してくださるそうです。
本当にありがたい限りです。
小さいことを「ピッコリ―ナ」というらしく
最初は子犬に使っていた単語は最終的に私向けの言葉に変わっていました。
「ピッコリ―ナ、よく食べて偉いね」
こんな感じでした。
しかし時の流れを感じたのも確かであの時に現役バリバリだったRは引退しているし、
その同僚だったE氏は亡くなったとのこと。
もともと軍隊にいたE氏は当時空爆のあったコソボにいて
そこで使われた劣化ウラン弾が原因で癌になったらしい。
もちろん、NATOはそんな兵器が使われていたことなんて認めないらしいけれど
同時コソボに従軍していた兵士の多くはすでにがんで亡くなっていると聞き、
ここにも原子力の被害が、と少し唖然としてしまった。
E氏はものすごいセクハラおやじで私は苦手だったけど
亡くなる直前は劣化ウラン弾の問題に真剣に取り組み少しでも状況が改善されるよう
ひたすら運動を続けていたという。
グレゴリーペックいるかしらん?と歩いてみるけどさすがにいないですね。
今日は時差ボケのため早起きしたのでバチカン市国まで行ってみる。
実に7年ぶりになるこの場所は相変わらずものすごい存在感と威厳を保っていました。
午後までいたら教皇様に会える日ではあったけど
そこまでの大ファンでもないので早々に帰宅。
そして友人Rのお迎えを待つ。
今日は到着した日にさっそく連絡したパキスタン時代の友人Rが家に招いてくれる日。
パキスタンにいたときは友達がいない、と悩んでいた日々もあったけれど
今ふたを開けてみるとコアないい友達が多かったことに気が付く。
しかしイタリア人たちとはよく遊んだなあ・・・たいてい「待ち合わせは11時ね」といわれて張り切って昼間に家に行くと
「夜の11時に決まってるじゃん」とか言われるパターンだったけど。
どんだけ夜型なんだよ!と思ったことを思い出す。
若手イタリア人ギャルたちは今はイタリアにはいないらしく今日はオジサマRが対応。
相変わらずステキなオジサマでした。
パキスタン時代は大使館で働いていた人だけど今は引退してローマ近隣の町に住んでいるとのこと。
スペイン広場まで行き、そのあたりをジェラートを食べながらぶらぶらしたあと
お宅訪問。
丘の上にあるかわいらしい家には超ラブリーな奥様とワンコが待っててくれました。
「若い子を誘おうと思ったんだけど老人ばっかりでごめんよ」と恐縮していたけれど
英語がそこまで堪能でないRは私に気を使って、
英語の先生をしているオバサマと日本文化をこよなく愛するオジサマ(英語話せず)をゲストに招いてくれていました。
おいしい奥様の手料理をたらふく食べ、本当にたらふく食べ、
老人たちだけにみんなでテラスで昼寝までしてみる。
「本当は湖にピクニックくらい行きたいところなんだけどねえ・・・」と言ってくれたけれど
明らかに足腰が悪そうな皆様にそこまで無理をしていただくわけにもいかず
その日はお開きに。
来週は仕事のあとにローマの夜の街並みを案内してくださるそうです。
本当にありがたい限りです。
小さいことを「ピッコリ―ナ」というらしく
最初は子犬に使っていた単語は最終的に私向けの言葉に変わっていました。
「ピッコリ―ナ、よく食べて偉いね」
こんな感じでした。
しかし時の流れを感じたのも確かであの時に現役バリバリだったRは引退しているし、
その同僚だったE氏は亡くなったとのこと。
もともと軍隊にいたE氏は当時空爆のあったコソボにいて
そこで使われた劣化ウラン弾が原因で癌になったらしい。
もちろん、NATOはそんな兵器が使われていたことなんて認めないらしいけれど
同時コソボに従軍していた兵士の多くはすでにがんで亡くなっていると聞き、
ここにも原子力の被害が、と少し唖然としてしまった。
E氏はものすごいセクハラおやじで私は苦手だったけど
亡くなる直前は劣化ウラン弾の問題に真剣に取り組み少しでも状況が改善されるよう
ひたすら運動を続けていたという。
by emiemi0407
| 2011-07-03 23:06
| 旅の話