何が正しいのかわからなくなってきました
2009年 04月 05日
悩みはつきない日々。
「どこまでやるべきか」
「なにをやるべきで、なにをやらざるべきか」
この仕事をすればするほどわからなくなってきている。
ある事業地で12月にできた井戸。
井戸の周辺に動物よけのフェンスを作ってほしいとお願いしていた。
しかし何度言ってもできないフェンス。
このフェンスは全然難しい作業じゃない。
その辺にある木を集めて組み立てるだけ。
作り方も教えたし
フェンスの必要性も何度も伝えた。
でも、フェンスができていない。
いつまでもこの事業地にいることはできないという前提で
私には二つの選択肢があった。
1.このまま放っておく、か
2.自分たちで作ってしまう、か。
私が選択したのは2.だった。
たとえ彼らの自立を妨害したとしても、
せっかく作った井戸の水を飲んで病気になるひとがいるのであれば
それは避けなくてはいけない。
子どもたちが不衛生な環境で水を飲んで病気になるのを黙って見過ごすことはできない。
でも、私の心の中にわだかまりが残った。
自分たちですべてやってしまってはいけないんだ。
彼らの持つ力を引き出すこと、
彼らのものだ、という意識を持ってもらうこと、
ただ、与えられるものを待つのではなく主体的に動くことを促すこと、
これが大事なこと。
でも、私はそれを実現することができなかった。
何もかもを与えることは簡単だ。
でも、そうでないこと、そうしないこと、その意味と必要性を伝えることが
本当に難しくて
自分の仕事の意味を考え直させられる日々が続いている。
こんな風な壁にぶち当たるのはどこにいってもあるけれど
特に、南スーダンではこんな思いに駆られることが多い。
彼らのもつ、「くれくれ精神」は今に始まったことではない。
植民地政策の中で培われた
「何かの報酬のために働く」概念が染み付いてしまっているせいなのではないかと思う。
こうなってしまったのは彼らのせいではなく
この地を支配してきた人、この地に介入してきた人たちのせいだと思う。
もしかしたら私もそんな人たちの一人になってしまっているのではないかと
自分自身の仕事に嫌悪感を覚えてしまうこともある。
迷いの中で仕事をする日々。
ある人にきかれた。
「ずっとこの仕事をしていて感じることってなんですか?」
私はこう答える。
「やればやるほどわからなくなります。」
「どこまでやるべきか」
「なにをやるべきで、なにをやらざるべきか」
この仕事をすればするほどわからなくなってきている。
ある事業地で12月にできた井戸。
井戸の周辺に動物よけのフェンスを作ってほしいとお願いしていた。
しかし何度言ってもできないフェンス。
このフェンスは全然難しい作業じゃない。
その辺にある木を集めて組み立てるだけ。
作り方も教えたし
フェンスの必要性も何度も伝えた。
でも、フェンスができていない。
いつまでもこの事業地にいることはできないという前提で
私には二つの選択肢があった。
1.このまま放っておく、か
2.自分たちで作ってしまう、か。
私が選択したのは2.だった。
たとえ彼らの自立を妨害したとしても、
せっかく作った井戸の水を飲んで病気になるひとがいるのであれば
それは避けなくてはいけない。
子どもたちが不衛生な環境で水を飲んで病気になるのを黙って見過ごすことはできない。
でも、私の心の中にわだかまりが残った。
自分たちですべてやってしまってはいけないんだ。
彼らの持つ力を引き出すこと、
彼らのものだ、という意識を持ってもらうこと、
ただ、与えられるものを待つのではなく主体的に動くことを促すこと、
これが大事なこと。
でも、私はそれを実現することができなかった。
何もかもを与えることは簡単だ。
でも、そうでないこと、そうしないこと、その意味と必要性を伝えることが
本当に難しくて
自分の仕事の意味を考え直させられる日々が続いている。
こんな風な壁にぶち当たるのはどこにいってもあるけれど
特に、南スーダンではこんな思いに駆られることが多い。
彼らのもつ、「くれくれ精神」は今に始まったことではない。
植民地政策の中で培われた
「何かの報酬のために働く」概念が染み付いてしまっているせいなのではないかと思う。
こうなってしまったのは彼らのせいではなく
この地を支配してきた人、この地に介入してきた人たちのせいだと思う。
もしかしたら私もそんな人たちの一人になってしまっているのではないかと
自分自身の仕事に嫌悪感を覚えてしまうこともある。
迷いの中で仕事をする日々。
ある人にきかれた。
「ずっとこの仕事をしていて感じることってなんですか?」
私はこう答える。
「やればやるほどわからなくなります。」
by emiemi0407
| 2009-04-05 20:04
| Sudan